正仙寺縁起

当山は「蔵の街」で有名な栃木市の北西部に位置する吹上町、関東平野を一望する足尾山地東南端の鴻巣山の中腹に、応永年間の初め(一三九四~一四〇〇)山城国(京都)醍醐山松橋無量寿院第十一世俊海僧正によって市内大宮町の東醍醐山如意輪寺に続いて開山され、如意輪寺末寺の最上位に位置し、江戸時代初めには末寺門徒八カ寺を有していました。立地している吹上の地は、太陽と水に恵まれ縄文時代から栄え、日光開山の勝道上人が日光山に向かう際に伊吹山の麓から五色の雲が吹き上げたことが地名の由来とされており、伊吹山は鴻巣山の東南端の小丘で「伊吹のさしも草」は、東国の歌枕として

「おもいたに かからぬ山の させも草  誰かいふきの さとはつけしそ」(枕草子清少納言)

等多くの平安の歌人に詠まれています。戦国時代後期、皆川成勝の甥で智積院中興第一世玄宥僧正の父である膝附亦太郎(~一五九二)によって皆川氏の出城「吹上城」が当山東隣の現在の吹上中学校敷地内に築かれました。

 江戸時代後期になると吹上城跡には吹上代官所や有馬藩が置かれ、当山は代官所役人や有馬藩士の菩提寺に位置付けられ、中世から近世にかけて武士出入りの寺として栄えました。また、真新しい本堂・客殿は鎌倉時代初期の建築様式による国産総ヒノキ造りで令和元年(二〇一九)十二月に竣工しました。

本尊 不動明王

作者や制作年代等は不詳ですが、中世から太平洋戦争までは軍陣不動または軍陣守護の尊と仰がれ、現在は吹上慈護不動尊として親しまれています。不動明王は一般に「お不動さま」と呼ばれ、大きな岩の上にいらっしゃいますが「山のように動かない揺るぎない心」を表しています。私たちは少しのことで右往左往しますが、そんな時最も頼りになるのがお不動さまです。恐ろしいお顔は、何ものも恐れずに私たちを救ってくださる慈悲の心、右手の剣は悪を切り払う力、左手の索は悩む人を引き寄せる力、背中の火焔は悪を焼き尽くす力を表しており、古来から修験者や庶民の間で広く信仰されてきました。傍にいるのはお不動さまに仕える八大童子の二人、多迦(せいたか)矜羯(こんが)()で、合わせて不動三尊と呼ばれています。